当時も英会話スクール・ブームはそれなりに高まっていた。中学・高校の6年間で英語の授業があり日本の教育レベルはかなり高く、今でもよく言われることだが、日常的な会話は中学校で学ぶ英語をマスターしていれば、ほぼ事が足りるはずだ。
だが、ほとんどの日本人は、「英語がしゃべれない」と思い込んでおり、実際、外国人と英語でコミュニケーションをとろうとさえしない。「英語を知っているのに、英語でコミュニケーションできない」日本人は、外国人の目には深い謎であり、理解不能の存在だろう。
ヨネナガ氏はその最大の理由として、英語教育の順番が間違っているからだと思ったという。
「言語感覚を身につけるのは、小学生のころからその言語にふれるほうがいい」
こうした考え方から、ヨネナガ氏は若い親たちに、「小学校から英語にふれさせてください」と積極的に声をかけていった。
「しかし、みんな聞いてくれなかったのです。まだ日本語も上手く話せないのに、なんで今から英語なんだって」
2000年当時の子どもの英語教育といえば、早くて小学校高学年から対象にした子ども英会話スクールがあったくらいだ。「となりのドリッピー」や「スピードラーニング」など高価な教材しかなかった。だが、テープやCDを聞くだけでは子どもが興味を抱かない。英語に興味を持たせることもおぼつかなかった。
だが当時も、時代の先行きを読み取る優れた感性を持つ親はいた。AtlasマンツーマンKIDS英会話は順調にブース数を増やしていき、ヨネナガ氏の主張は次第に受け入れられていったのだった。
未踏の地であるマンツーマンレッスンでの子ども英語教育。ヨネナガ氏はその開拓を、先陣を切って進めていくパイオニアとしての道を歩み出して行ったのである。
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