アメリカ在住12年の22歳で大学を卒業後、ヨネナガ氏は大学院(MBA)へ進学しており、そのバイタリティーには驚かされる。進学先はカリフォルニア大学バークレー校大学院ビジネス・アドミニストレーション・マスターコースだ。大学院に進んだ理由をヨネナガ氏はこう述べている。
「22歳のとき、大学や会社組織での競合者はいわゆるカーケージョン(白人)の男性が主。しかもその方たちは順調に組織の階段を昇っていくのです。そういう人種の方たちと互角に、あるいはそれ以上に話ができないと、話になりません。これはきちんと勉強して、理論をしっかり持たないと勝てないと思ったわけです。これはビジネスだけのことではなく、人間的にもしっかりとした理論を持ちたかったというのもありました」
人種のるつぼといわれるアメリカ西海岸でも、人種の差別がまだ残っている。白人種と有色人種(日本も含むアジア人)はイコールではなく、有色人種が白人種と同じように評価されるためには白人種よりも優秀で、白人種以上の頑張りをみせないとだめなのだ。
「日本人だからダメなんだ」と言われないために、信じられないほどに働きまくったヨネナガ氏である。ヨネナガ氏は、22歳でロジスティク関連のベンチャー会社を立ちあげながら、大学院のマスターコースへ進学。MBAを取得したというから、その努力には驚嘆するほかはない。
その後、ヨネナガ氏はアメリカ全土を駆け回りビジネスモデルを模索していた。
「大学院進学当時、すでにベンチャーを大規模な企業にすることを意識していたのか?」と尋ねると大きく首を横に振る。
「いえいえ。全然です。しかし、自分が起こした会社が売上高数千万レベルから、次第に数億円、数十億円に膨れ上がっていくにつれて、組織をきっちり構築していかなければならないとか、きめ細やかな経営戦略を立てていかないと、企業としての骨格ができないと痛切に思うようになっていったのは確かですね。まだ25歳でしたが、他の25歳よりはしっかりしていたと思います」
このころのヨネナガ氏は、あくまでも、日本に帰って日本法人を起こしてからその会社をより発展させていくことに、すべてを注いでいたことがわかる。
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