ヨネナガ氏は、まずはランゲージスペースの全国拡大路線を突っ走った。
「マーケティング部署を編成し、関西、中部、関東に攻勢をかけて新規ランゲージスペースをオープンするという戦略をとりました。ところが、入ってくる生徒数と辞めていく生徒数がほぼ同じで、結果的にはパイは大きくなっていかないのです」
新規のランゲージスペースが続くと、コストはどんどんかかり、売り上げは一向に膨らまない。そうした苦しい展開の中であったが、「生徒をひきつけるのはランゲージスペースの質だ」と確信していたヨネナガ氏は、インストラクターの質と教室の改善に手をつけた。当時、インストラクターの中にはアルバイト感覚の人も少なくなかったのが現実だった。ランゲージスペースでの教え方もバラバラで、足並みの乱れが目立つという感じだったそうだ。
そこで、ヨネナガ氏は、プロ意識を持たせるために、インストラクターにドレスコード着用、時間厳守を徹底させるためにシステムエンジニアを自社採用し、オンラインでのシステムの構築を導入したところ、それまでナアナア体制に慣れ切っていたインストラクターたちが離れていってしまった。
そこで、まったくゼロから新規採用に乗り出すことになる。ヨネナガ氏は毎日3人の日本人カウンセラーと外国人インストラクター候補の面接を繰り返し、採用者の研修に明け暮れた。新規ランゲージスペースのオープンにもコストがかかるが、スタートしてから3年間は毎月赤字になっていた。
もちろん借金をしない主義のヨネナガ氏だが、ヨネナガ氏がアメリカにある資本金を少しずつ切り崩してなんとかするほかなかったはずだ。
ヨネナガ氏は身長183センチ、体重80キロの大男だが、明るく柔和な人柄であり、これまでの歩みからも、その内側に強靭な精神を隠し持っていることもわかる。だが、そのヨネナガ氏が当時の話になると顔から笑顔が消えてしまうほどだ。毎日、薄氷を踏む思いで進んでいたのだろう。
それでも、「質を上げていけば、必ず軌道に乗れるはずだ」という信念は揺らぐことはなかったというから、ヨネナガ氏の強靭な神経にも圧倒される。
ランゲージスペースの数を減らしてでも、質にはこだわっていこう。こうした思いから、オンラインレッスンのサーバー環境もクラウド型に変更し、60分のマンツーマンレッスンの料金を2,500円から1,950円に値下げをしたわけだが、結果的に通信環境の改善もレッスン料金の改定も、波乱含みのAtlasマンツーマン英会話の歩みを下支えするものになったという。
2000年のスタートから今日までAtlasマンツーマン英会話の歩みを振り返ると、最低のボトムは、NOVA倒産とリーマンショック後の2008年度。生徒数は1000名と、スタート時のざっと30%レベルまで落ち込んでいた。
>>上昇気流が吹き始めたAtlasマンツーマン英会話
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